鹿島 清兵衛 (かじま せいべい)

2019/06/01~2019/08/31写真歴史博物館 企画写真展 「明治に生きた“写真大尽” 鹿島清兵衛 物語」
2019/06/29・7/20・8/10【写真展 併催イベント】 井桜直美氏(古写真研究家、本展監修)によるギャラリートーク

大坂の酒問屋「鹿島屋」の当主鹿島清右衛門の次男・政之助として誕生。東京・新川(現・中央区新川)の鹿島屋本店の跡取り娘・乃婦(のぶ)と結婚し、八代目鹿島清兵衛となる。明治18(1885)年、浅草の写真師・今津正二郎を一日おきに家に呼び写真術を学ぶ。明治21(1888)年、小川一真、バルトンと共に築地乾板製造所を設立。翌年、日本写真会が結成され入会。明治26(1893)年、大日本写真品評会が創立され副会頭に就任。明治28(1895)年、木挽町(現・中央区銀座)に写真館「玄鹿館」を設立。館主を弟・清三郎とし美術陳列館を併設。同年、戸田氏共と日本幻燈会を創設。明治29(1896)年、大日本写真品評会でX線写真の公開実験に成功。翌年、英照皇太后御大葬を日本初の夜間屋外マグネシウム閃光で撮影。鹿島家に離縁された後は、玄鹿館を閉鎖。ぽん太を身請けし、京都で写真館を開くが失敗。数年後、東京の本郷座前に写真館「春木館」を開店。ある日、マグネシウムの爆発事故を起こし右の親指を切断。写真館を閉じ、三樹如月(みききさらぎ)の名で能の森田流の笛方となる。病没。享年58。

作品

  • 撮影:鹿島清兵衛

  • 撮影:鹿島清兵衛

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