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松井洋子氏インタビュー 松井洋子写真展「風知草と草雲雀」
撮影:松井洋子
2013年7月26日(金)~2013年8月8日(木)まで開催される松井洋子写真展「風知草と草雲雀」について、松井洋子氏にインタビューいたしました。
――今回の写真展は2つのテーマから構成されていると思いますが、それについてお聞かせ下さい
松井 「風知草」は1994年に鳥取県の植田正治先生のもとへ移り住んだ日々から2003年までの山陰の風景と、両親を呼び寄せた島根県は琴ヶ浜での一日を織り交ぜています。そして、「草雲雀」は2006年から07年の年末年始と2009年2月の二回のアイルランド行をまとめたものです。最初の旅ではアラン諸島やモハーの断崖を、二回目は北のコーズウェイコーストやトーリー島などを巡りました。
――タイトルに込められた意味は?
松井 「風知草」というタイトルは国語辞書をめくりながら見つけました。路傍に生える多年草をこう呼ぶそうです。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない」このヨハネによる福音書を、写真集では冒頭に小さく英文で記しました。山陰には三年ほど住んでおりましたが、撮影行はとても幸せで楽しいはずなのに、いつもどこか無性に淋しくて知らない土地を歩いているようでした。私のそんな気持に「風知草」という言葉がしっくりきたのです。
次に、「草雲雀」は蟋蟀(こおろぎ)の一種を言います。これは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の著書『骨董』(1902)のなかの一篇から引用したものです。アイルランドへ行く直前にたまたま本屋で見つけたのですが、アイルランドの写真にはこのタイトルしかないと思いました。八雲はアイルランドで幼少時代を過ごしていますし、松江(出雲)での暮らしや民話を題材にした作品を数多く生み出しています。八雲が描いた“草雲雀”の姿に強く惹かれたのはもちろんのこと、自分の山陰からアイルランドへというテーマの移行が、「草雲雀」によって一本の線で結ばれたように感じました。
―― 山陰とアイルランド、この2つの土地の共通点は何かありますか?
松井 車を走らせながら気になる風景に降り立つのはどちらも同じですが、アイルランドでもまた山陰の冬の光を見ていたように思います。いつの間にか山陰の光が私にとっての故郷のような原風景になっていました。「ああ、ここも山陰みたい!」と思うと、世界は恐くないのです。
―― 撮影機材、感材、プリントについてのこだわりは?
松井 「風知草」はモノクローム、「草雲雀」はカラー作品です。最近はカラーで撮影することがほとんどになりました。「草雲雀」では、ハッセルブラッド500C/Mにカールツァイス・プラナー80ミリF2.8を使用しています。このレンズの柔らかな発色が大変気に入っています。カラーのプリントは自分ではやりませんので、フォトグラファーズ・ラボラトリーさんにプリントをお願いしました。アイルランドの大地が織り成す何とも言えぬ色合いを、丁寧に豊かな優しい諧調で出して頂きました。ペーパーもいろいろ試しましたが、柔らかなトーンを出すにはフジフイルムさんのペーパーが一番良かったです。
―― 松井さんから見た、植田正治氏はどんな方でしたか?
松井 鳥取県にある植田正治写真美術館の映像展示室では、インタビューに答える植田先生の声を聞くことができます。「僕は自由に撮りたいんです」という先生の言葉で映像が終わるのですが、その声を聴くといつもジーンと体中に響いて涙が溢れてきます。いわゆる写真の技術を教えて頂いたり、お仕事のアシスタントをするような師弟関係ではありませんでしたが、“写真とともに生きる”ということをそばで見させて頂いたのだと思います。40度の熱が出て病院に行くというのにカメラを持って出られたり、植田カメラ店を経営されていたものですから、撮影した翌朝にはもう昨日の写真をチェックされているのです。誰よりもたくさん写真を撮り、心底写真が大好きな方でした。「何遍撮っても海は海だがなぁ」とサークルUの諸先輩方と囃し立てながら、嬉しそうに目を細め潮風に吹かれファインダーを覗く植田先生の横顔が忘れられません。
―― 写真展を見に来てくださる方に一言
松井 「風知草」と「草雲雀」を同じ空間に展示することは、以前からやってみたいと思っていたテーマでした。モノクロームからカラーへ、35ミリサイズから6×6判へ、そして山陰からアイルランドへと舞台は移りましたが、もしかしたら20歳代、30歳代というような、私自身の魂の旅路であったと言えるのかもしれません。二つの作品の間に飛び交うささやかな歌声に、ほんのひととき耳を傾けて頂けたら幸いです。
撮影:松井洋子