世界中に影響を与えた写真家集団 「マグナム創設の原点」 写真展見どころガイド

世界中に影響を与えた写真家集団 「マグナム創設の原点」 写真展見どころガイド

マグナム・フォトとは、

1947年、ロバート・キャパが発案し、仲間のアンリ・カルティエ=ブレッソンたちと結成した写真家が出資して株主となり運営する写真家のグループです。
第二次世界大戦中、報道写真家として活躍していた彼らは、写真家の権利を守り主張することと、独自の視点で世界を見直すことを目的にマグナムを創設しました。
折しも世の中は、大戦からの復興と、人権という新しい価値観の共有に向け大きく動き始めていました。
記録することを重視し、フォトジャーナリズムの礎を築いたキャパと、瞬間を切りとることにより写真の芸術性を高めたアンリ・カルティエ=ブレッソン。
マグナムの誕生は、写真に備わる「記録」と「芸術」の二面性をひとつの組織の中で融合し、ドキュメンタリー写真の地位を揺るぎないものに確立した瞬間でもありました。
記録と芸術としての写真の力を通じてヒューマニズムを訴えるという、設立当初からのマグナムのスピリット。
創成期の写真家たちによる名作を集めた本展は、改めて今の時代を考えるきっかけとなることでしょう。

Part 1 創設者4人が写真家として活動を開始

1913年、ハンガリーに生まれたロバート・キャパは、「崩れ落ちる兵士」の写真でその名を世界に広めました。
一方、フランスのアンリ・カルティエ=ブレッソンは、画家から写真に転向。
個展を開催するなど、アーティストとして活躍していました。
後にマグナム創設者となるのは、他に、ポーランド人のデビッド・シーモア、イギリス人のジョージ・ロジャーがいました。

1932 ロバート・キャパ、コペンハーゲンで演説するトロツキーを撮影。
アンリ・カルティエ=ブレッソン、「サンラザール駅裏」を撮影。
1933 ロバート・キャパ、パリにてアンリ・カルティエ=ブレッソン、デビッド・シーモア等と知己を得る。
アンリ・カルティエ=ブレッソン、ニューヨークで初の個展。
1935 フランスで左派連合「人民戦線」結成、翌年政権を獲得する。
1936 スペイン内戦勃発。
1937 ロバート・キャパ、「崩れ落ちる兵士」を撮影。
日中戦争開戦。
1938 ロバート・キャパ、日中戦争を取材。
1939 第二次世界大戦開戦。

Part 2 第二次世界大戦

第二次世界大戦中、4人は各地で戦争を取材。
キャパは、ノルマンディー上陸作戦の作品を発表し、報道写真家としての地位を確たるものにしました。
一方捕虜となったアンリ・カルティエ=ブレッソンは、3 回目の試みで脱出に成功し、大戦終焉直後のインドや中国を取材。
4人の眼差しは、戦渦でも、常に市井の人々に向けられていました。

1941 ロバート・キャパ、スペイン内戦で知り合った友人アーネスト・ヘミングウェイを訪ねて、米アイダホ州サン・バレーへ赴く。
1943 ジョージ・ロジャー、第二次大戦イタリア取材中にキャパと出会う。
アンリ・カルティエ=ブレッソン、1940年にドイツ軍の捕虜となるが3度目の試みで脱走に成功、
その後レジスタンス活動に参加。
1944 ロバート・キャパ、ノルマンディー上陸作戦、パリ解放を取材。
1945 ロバート・キャパ、イングリッド・バーグマンと出会い、2年間の交際が始まる。

Part 3 マグナム創設とその後

1947年マグナム・フォト創設。その後、信条に賛同するメンバーが次第に増え、活動の幅は広がっていきました。
時事問題だけでなく、芸術や文化に関する作品も多く手掛けるようになっていきます。
1954年、ロバート・キャパとワーナー・ビショフが不慮の死を遂げ、2年後デビッド・シーモアもその後を追いますが、マグナムのスピリットは存続し、創設から70年たった今日まで受け継がれています。

1947 ロバート・キャパ、『ちょっとピンぼけ』上梓。
アンリ・カルティエ=ブレッソン、ニューヨーク近代美術館にて、本人が戦死したと思われ「追悼展」が開催される。
マグナム・フォト創設。
アンリ・カルティエ=ブレッソン、インドを取材。
1948 ワーナー・ビショフ、マグナムに参画。
アンリ・カルティエ=ブレッソン、中国で国民党政権から共産党政権への推移を取材。
デビッド・シーモア、UNICEFの依頼でヨーロッパの戦争孤児を取材。
ロバート・キャパ、パブロ・ピカソを仏リビエラで撮影。
1949 ジョージ・ロジャー、アフリカ縦断取材。ケープタウンからカイロまでを陸路で移動。
インゲ・モラス、ライター兼リサーチャーとしてマグナム参画。
ロバート・キャパ、ニース郊外でアンリ・マティスを撮影。
1951 デビッド・シーモア、建国直後のイスラエルを取材。
ワーナー・ビショフ、来日、翌年まで滞在。
イヴ・アーノルド、デニス・ストック、エリオット・アーウィット、マグナム参画。
1952 アンリ・カルティエ=ブレッソン、『決定的瞬間』上梓。
マルク・リブー、マグナム参画。
1953 マルク・リブーが撮影したエッフェル塔のペンキ塗りの写真がデビュー作として『LIFE』に掲載される。
1954 ロバート・キャパ、『カメラ毎日』創刊に伴い初来日。
東京からインドシナ戦争を取材に発ち、地雷に触れ死去。
ワーナー・ビショフ、取材先のアンデスで車両事故に遭い死去。
キャパが亡くなる9日前だった。
デニス・ストック、「麗しのサブリナ」撮影現場のオードリー・ヘップバーンを撮影。
1955 デニス・ストック、ハリウッドでジェームズ・ディーンと出会い、私生活や故郷などのプライベートな写真を多く撮影する。
イヴ・アーノルド、マリリン・モンローと出会い、その後10年にわたり撮影を続ける。
総会にて、正会員、準会員、候補生の会員制度が決定され、現在まで引き継がれている。
1956 デビッド・シーモア、第二次中東戦争を取材中、スエズ運河付近でエジプト軍の銃弾にあたり死亡。
マグナムはロバート・キャパに続き、戦争によって二人目の写真家を失った。
エリオット・アーウィット、グレース・ケリーとレーニエ・モナコ公国皇太子の婚約式を取材。

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