池田真魚氏インタビュー FUJIFILM SQUARE 企画展 よみがえる不朽の名作 土門拳の『古寺巡礼』

池田真魚氏/土門拳記念館

撮影:土門拳 撮影:土門拳

2013年6月14日(金)から7月10日(水)まで、2部にわたって「よみがえる不朽の名作 土門拳の『古寺巡礼』」展を開催します。今年は『古寺巡礼』第一集が刊行されて50年にあたります。これを記念し、古いものは半世紀以上前に撮影されたカラー作品を、現在の最高の技術で作品を新たにプリントして展示致します。土門氏の長女で、山形県酒田市・土門拳記念館の館長である池田真魚さまに、土門氏の撮影エピソードや作品の魅力について伺いました。

土門拳の全作品を収蔵する山形県酒田市の土門拳記念館が、今年開館30周年を迎えます。 http://www.domonken-kinenkan.jp/

―― 土門先生は戦前から古寺をめぐって建築や仏像の写真を撮影されていますが、カラー写真はいつ頃から始められたのでしょうか。

池田 昭和34年(1959)、『カメラ毎日』に「古寺巡礼」を1年間連載したのですが、そのとき冒頭の1枚がカラー写真でした。ですからその前の年からでしょうか。でも、そのときの写真はうまく写らず、『古寺巡礼』の写真集には1枚も掲載していません。なんとか写せるようになったのは昭和35年(1960)からで、今回の展示する法隆寺の作品の何点かはこの年の夏に撮影したものです。

―― 池田さんは東京写真短期大学(現・東京工芸大学)のご出身で、撮影にも同行されたと伺っています。

池田 昭和34年から35年の、土門がちょうど『古寺巡礼』の撮影を始めた頃のわずかな間です。法隆寺、薬師寺、勝常寺、浄瑠璃寺など、学校の休みのときに行きました。撮影助手というよりも荷物係でしたね。私は力持ちだったので(笑)。この頃はおもにお寺の外観などの撮影で、取材のついでに、一緒にお寺を見に行ったりもしました。

―― 土門先生の仏像の撮影はどのようにされていたのですか。

池田 土門はピントが隅々まで合っていないと気がすまないので、絞りは最高の64まで絞り、露出に長い時間をかけます。照明に使ったのは「フラッシュバルブ」と呼ばれる閃光電球。長い竹竿の先に小さな電球の笠をつけ、土門がそれを持って照明の位置を決めます。仏像の周りで一発ずつたいて、その間にレンズの前の黒い布の一瞬動かし、シャッターを開いた状態にするのです。カラーで自分が思う色に仕上げるのは難しく、納得できる仏像のカラー写真が写せるようになったのは、藤森武さんが助手になった昭和37年くらいからではないかと思っています。

―― ふだんの土門先生はどんなふうでしたか。

池田 子どものときから、ほとんど取材で出かけていて不在のことが多く、家にいるときには、編集者やアマチュア写真家がしょっちゅう訪ねていらしていたので、一般的な父親像というのはありませんね。私が知っているのは、本を読んでいるか、原稿を書いている姿です。本はいつも読んでいました。『古寺巡礼』の写真集をつくりたいと長年思っていたでしょうから、撮影のためにも、随分勉強したのだろうと思います。

―― 今回、『古寺巡礼』の本も展示するのですが、桐箱入りの特装版ですね。

池田 はい。第一集の題字は梅原龍三郎先生にお願いして、その焼き印をつくって桐箱に押印しています。なんでもきっちりとした寸法でないと気がすまない人でしたから、湿気で紙が膨張すると入れにくいくらい、ぴったりサイズなんです。レイアウトも装幀も全部土門が考えたものです。表紙の裂なども特注、天金(本の上部に金を塗布)でA3判(29.7×42.0㎝)という大きい本ですから定価が2万3000円と、とんでもなく高い本になりました。

―― 大学卒の初任給が1万円台の時代ですから、今でいえば30万円くらいもする豪華本ですね。

池田 ですからなかなか売れなかったんですよ。でも最初から土門は四集出すと決めていましたから、定価はどんどん高くなっていって、昭和46年(1971)に出した第四集は3万2000円でした。

―― そのあと、第五集を刊行されていますね。

池田 はい。昭和43年(1968)に脳出血で倒れて1年半くらいは入院治療していました。ですが、前々から撮っていた西芳寺や龍安寺をどうしても掲載したいと思ったらしく、助手や周辺の人に協力してもらって昭和49年には車椅子で撮影を再開しました。きっと、もどかしかったと思いますよ、自分でしっかりとアングルを決めてライティングをすることができませんし。でもできる限りは撮りたいと思っていたでしょうね。そして昭和50年(1975)に出した第五集に「『古寺巡礼』全五集を、ぼくの分身として世に残すことができた」と書いています。

――これだけの写真集をつくるには、印刷も大変だったのでしょうね。

池田 今はもう見られない「原色版印刷」という印刷方式でした。フィルムを銅版に焼き付け、修正してつくった版で、1色ずつ印刷します。今回の展覧会にもその銅版を陳列するとのことですが、一枚の写真に赤、青、黄、墨と4枚の銅版が必要です。土門の七回忌に合わせてこの版で最後に印刷したときに(平成8年=1996)、印刷所でごく薄い紙を銅版に貼って圧を変え細かな色の調整しているのを見せてもらい、現場のご苦労が偲ばれました。
 土門はモノの正しい色を求めたのではなく、色味でいえば黄赤がかかった、今の感覚で見れば濁った色が好みでした。

―― ところで今回の展覧会には、土門先生がはじめてカラー写真を撮られた富士フイルムのキャビネ判(約160×120㎜)フィルムからプリントした作品も展示されます。

池田 昭和25年(1950)に撮影した唐招提寺の「鑑真像」と「如来形立像」の2点が残っています。おそらくは土門の弟子で、のちに富士フイルムの宣伝部に入った石井彰さんが「先生、使ってみてください」とフィルムを提供してくださったのではないでしょうか。60年以上前に撮影したカラーフィルムですから、もちろん褪色はしていますが、『古寺巡礼』で使った4×5判のフィルムよりも、しっかり画像が残っているのです。それを最新の技術で甦らせていただけるというので私も楽しみにしています。

―― そのときのカメラは何ですか?

池田 多分、はじめて自分で買ったカメラ・組立暗箱カメラではないでしょうか(注・昭和16年に購入した小西六のホームポートレイト)。戦後しばらくは『風貌』や女性雑誌の取材にも使っていたようですし。

―― 土門先生の仏像写真はクローズアップが多く、独特の強さがありますね。

池田 「土門さんの写真は、本物を見ると全然違う」とよくいわれます。土門の写真は標本的な写真とはまったくかけ離れていたものです。それにどんなに有名な仏像であっても、自分が「この仏像はスゴイ」と神威のようなものを感じなければ撮りません。仏像を「これだ」と納得するまで時間をかけて見つめて写しています。きっと心からこちらの思いを受け止めてくれるまで仏像に語りかけているのだと思います。ですから、土門の仏像は大きく見え、「生きている」感じがします。全部「土門さんの仏」になっているんですね。
 それと『古寺巡礼』では仏像だけでなく、好きな建築やその部分も数多く撮っています。今回、『古寺巡礼』の展覧会を見ていただく方々に、土門の思いを感じとっていただければ嬉しいですね。

撮影:土門拳 撮影:土門拳

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