ウィリアム・ユージン・スミス (1918-1978)
William Eugene Smith
1918年、アメリカ合衆国カンザス州ウィチタに生まれる。14歳から写真を撮り始め、16歳で地元紙に写真が掲載されるなど、早くからその才能を開花させる。1937年、プロの写真家を目指しニューヨークへ移り、『ニューズウィーク』誌のスタッフとして仕事を始める。1943年、『フライング』誌の従軍記者として太平洋戦争を撮影。その後『ライフ』誌と契約し、掲載された戦争写真によって、報道写真界で一気に頭角をあらわす。1940年代から『ライフ』誌を中心に作品を発表し、編集方針への不満から一時同誌を離れたが、1954年までに50点以上におよぶフォト・エッセイを発表した。1971年からは水俣に移り住み、3年にわたり有機水銀による公害を取材。1978年、アメリカ・ツーソンで脳出血を起こし、59歳で死去。
2020年、スミスとアイリーン・美緒子・スミスによる共著写真集『水俣』(1975年)に基づき製作された映画『MINAMATA(原題)』(監督:アンドリュー・レヴィタス/主演:ジョニー・デップ/アメリカ/2020年)が公開され、大きな話題を呼んでいる。(日本では2021年9月公開)