エドワード・マイブリッジ (1830–1904)
1830年、イギリスのキングストン・アポン・テムズにエドワード・ジェームズ・マガリッジ(Edward James Muggeridge)として生まれる。1851年、単身渡米。ニューヨーク、のちにサンフランシスコを拠点とし、出版関係の仕事を通じて写真に興味を持つようになる。生涯で少なくとも3度の改名を行い、最終的に1881年からエドワード・マイブリッジ(Eadweard Muybridge)と名乗るようになった。1867年ごろから写真家の仕事を始め、ヨセミテ渓谷を撮影した写真が評判を呼ぶ。1872年、走る馬を撮影する実験に取り組み始めるが、1874年、妻の愛人を射殺した罪で勾留され、プロジェクトが中断。無罪判決の後、1877年に実験を再開し、同年に走る馬の瞬間撮影に成功。1878年には、走る馬の連続写真の撮影にも成功した。その後、ありとあらゆる運動を連続写真で解析し、1887年、その成果の集大成として写真集『Animal Locomotion』が刊行された。1894年に生まれ故郷に戻り、1904年、74歳で死去。自身が手がけた写真の仕事に関する多くの資料や作品が、出生地にあるキングストン博物館に遺贈された。晩年に刊行された『Animals in Motion(動く動物)』(1899年)と『The Human Figure in Motion(動く人間の姿)』(1901年)は、現在まで100年超にわたって版が重ねられている。